酒呑み親父のよもやま噺

探求心旺盛な酒呑み親父の随想録

『涙の操』殿さまキングス

【今日の一枚】
『涙の操』殿さまキングス
1973年11月5日リリース(ビクターレコード)

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殿さまキングス」の4枚目のシングルである。
発売から3ヶ月余りでオリコンのトップ10に初登場,6週後には1位を獲得し,そこから9週連続で1位を獲得した。

累計売上は197.3万枚の大ヒットを記録したが,印税については,レコード1枚当たり1円で契約したために,これほどの大ヒットにもかかわらず250万円しかもらえなかったということである。

中学生の頃のヒット曲である。
この曲について一番覚えているのは,父親が私に言ったひと言である。

中学生の頃,何となく家でこの曲を口ずさんでいると,父親が私のところにやってきて,「中学生がそんな歌を歌うな」と言った。
叱られたのである。

その時は,なぜなのかと言うことを理解できなかったのだが,あまりに真剣な顔で言うのでその指示に従った。

今思うと,その時の父親の気持ちは分からんでもない。
確かに,中学生ほどの子どもが歌うような歌詞ではないが,ほとんど理解できないままにヒット曲を口遊んでいるのだから,大目に見てくれても良かったのではないだろうか。

今でもこの曲を聴くと、その時の苦い思い出が蘇ってくるのである。

 

『私の心に』中山千夏

【今日の一枚】
『私の心に』中山千夏
1969年9月1日リリース(ビクターレコード)

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中山千夏」の,歌手1枚目のシングルである。
作詞は「中山千夏」自身が担当し,作曲は「都倉俊一」が担当した。「都倉俊一」にとって作曲家としてのデビュー曲でもある。

リリースされて1ヶ月程後にオリコンチャートトップ10にランクインし,累計で40万枚を超す売り上げを記録する大ヒット曲となった。

小学生の頃のヒット曲である。
メロディーと歌詞が,黎明期のフォークソングの雰囲気の曲なのでくちずさみやすく,愛唱歌としても有名な一曲である。

私が初めてこの曲を聴いたのは中学生になった頃だと思うが,その時にはすでに「愛唱歌集」の中の一曲となっていたように思う。

中山千夏」については,この曲を耳にした頃は,「テレビタレント」,「歌手」として,また数多くのエッセイや小説の「作家」として活躍している人だと思っていた。

1970年代に入ってからは,「女性解放運動(ウーマン・リブ)」に参画した後,「反差別・反戦」などの市民運動に取り組みを始め,1980年には「参議院選挙」に出馬して当選,1期を務めるような人になるとは思ってもみなかった。

現在も,マスコミでは顔を見かけないが,著作活動のかたわら人権や反戦市民運動を続けているという。人は見かけによらないものだ。

 

『柔』美空ひばり

【今日の一枚】
『柔』美空ひばり
1964年11月20日リリース(日本コロムビア

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美空ひばり」の211枚目のシングルである。
この曲で,1965年の「第7回日本レコード大賞」を受賞している。
作詞を「関沢新一」が,作曲を「古賀政男」が担当している。

初めて柔道が正式競技に採用された1964年開催の「東京オリンピック」ともあいまって,翌1965年にかけて爆発的にヒットした。

発売から半年足らずで180万枚以上を売り上げる大ヒットとなったが,これは「美空ひばり」の全シングルの中で当時,最高売り上げ記録であった。

NHK紅白歌合戦』に1964年の「第15回NHK紅白歌合戦」,翌1965年の「第16回NHK紅白歌合戦」と2年続けて表題曲で出場し,どちらも紅組トリを務めている。

小学校に上がる前のヒット曲である。
2年連続「NHK紅白歌合戦」で,この曲を歌ったということから見ても,この曲の大ヒット振りが伺える。

歌詞の冒頭のひと言「勝つと思うな 思えば負けよ」は小学生にもわかりやすいフレーズで,何かにつけて勝負する前にはこのフレーズを口遊んでいたように思う。

このレコードは,もちろん私が購入してと言う記憶はないし,リリース年から見ても不可能である。

おそらく父か母が買ったレコードが紛れ込んで,私の手元にあるものだと思うが,今聴いても当時を思い出し,懐かしい気持ちにさせられる一曲である。

 

『唇をかみしめて』吉田拓郎

【今日の一枚】
『唇をかみしめて』吉田拓郎
1982年3月21日リリース(フォーライフレコード)

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吉田拓郎」の23枚目のシングルである。
『唇をかみしめて』は,日本のレコード業界初の片面レコードとして発売されたものである。

当時,日本において一般的なシングルレコードの価格は1枚700円であったが,本作は貸しレコード業界への対抗策として1枚400円で販売された。

武田鉄矢」が原作・脚本・主演した映画「刑事物語」の主題歌である。
武田鉄矢」から直々に依頼され,この映画のために描き下ろされた一曲で,歌詞の内容が全編「吉田拓郎」が育った広島県の方言である広島弁を用いたため話題を呼んだ。

1988年5月21日に,8cmCD盤で再発されたが,再発盤は『唇をかみしめて』に続いて『ジャスト・ア・RONIN』が録音された。
画像は,定価400円の「元盤」である。

大学生の頃のヒット曲である。「刑事物語」も映画館まで観に行った。
映画自体は,広島を舞台にした者ではないのだが,恋人との別れのシーンに合わせて広島弁ぶっきらぼうな言い回しで『唇をかみしめて』が流れはじめると,思わず涙腺が緩んだという記憶が残っている。

標準語の歌詞以外では,時に「大阪弁」の歌がヒットするが,歌詞の全編が「広島弁」の歌と言うのも珍しくこの曲以外に知らない。

もしかすると,貴重な一曲と言えるのかも知れない。

 

『私の16歳』小泉今日子

【今日の一枚】
『私の16歳』小泉今日子
1982年3月21日リリース(ビクター音楽産業

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小泉今日子」のデビューシングルである。
この曲は,1979年4月25日に「森まどか」がリリースしたシングル『ねえ・ねえ・ねえ』のカバー曲である。

楽曲見本の1曲として『ねえ・ねえ・ねえ』を「小泉今日子」の所属事務所の社長に聴かせたところ,「これをやる」とデビュー曲に指名された。歌詞も編曲も変えないで,キーだけの変更でリリースされたと言うことである。

大学生の頃のヒット曲である。
小泉今日子」のデビュー自体については,大学生になっていたので,「山口百恵」や「桜田淳子」のデビューに比べると年代的にもこれといって感動はなかった。

それでも「笑顔の可愛い子が出てきたな」と思った記憶は残っている。
確かに,屈託のない弾けるような笑顔は,今までのどのアイドルよりも輝いていたのではないだろうか。

デビュー曲の『私の16歳』は,残念ながら「大ヒット」とまでは行かなかったが,後に「永遠のアイドル」として芸能界に君臨する大御所「小泉今日子」の歴史がこの曲から始まったのかと思うと,それなりに感動は大きい。

 

麻雀牌『王位 DEX』かきぬま 王位戦

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麻雀をはじめて間もない大学生の頃,麻雀用品メーカー「かきぬま」主催の王位戦を記念して「かきぬま」から発売された麻雀牌『王位DEX』を購入した。

かれこれ40年近く前のことである。
定価15,000円と,当時としては少々値が張った。

全自動の麻雀卓「雀夢」が発売されてはいたが,まだまだ高嶺の花で,学生相手の雀荘の貸卓は,すべて手積みのものだった。

当時は,「背竹製」と「総ユリア樹脂製」の麻雀牌が平行して発売されていた頃で,新しいのは「背竹製」よりも「総ユリア樹脂製」という感覚があった。
汚れてもすぐにクリーニングできるし,「竹製」と違って背の品質が一定であるため「ガン牌」しにくいのだ。

ちょうど「総ユリア樹脂製」の背の部分に「竹色」以外のカラフルな物が出始めた頃であった。「11PM」で人気だった「巨泉の麻雀」では,背が「深緑」か「濃紺」の物が使用されていたように思う。

『王位DEX』には,背のカラーに「竹目模様」「竹色」「グリーン」「ブルー」と,4種類の設定があったが,その中から麻雀のマットの色とマッチする「グリーン」を選択したという記憶がある。

ケースはナイロン製でボロボロになったため,ある時期に社外品の「ベッチンアルミケース」に交換しているが,付属品等については当時の物がそのまま残っている。

今のように,ネット通販はなかったので,現金封筒に代金を入れて,直接メーカー宛に注文した。

1980年10月号の「近代麻雀」にも,その広告が掲載されている。
一筒の真ん中に「王位」という文字が刻印されたもので,今となってはなかなか稀少なものだと思う。

『ほんとだよ』遠藤賢司

【今日の一枚】
『ほんとだよ』遠藤賢司
1969年2月1日リリース(東芝レコード)

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遠藤賢司」のデビューシングルである。
遠藤賢司」は,1968年8月に京都・山崎の宝寺で開催された「第3回フォークキャンプ」に初めて参加,1969年から1971年にかけて,三度行われた「中津川フォークジャンボリー」にも出演し,この曲でデビューを飾った。

遠藤賢司」のデビュー曲『ほんとだよ』は,アコースティック・ギターのフィンガー・ピッキングに,優しく語りかけるような歌詞が重なっていく名曲である。

その後の『夜汽車のブルース』や『満足できるかな』に見られるハードに歌い叫ぶ「遠藤賢司」のイメージがらはかけ離れていて,デビュー曲はこんなにも穏やかなラヴ・ソングだったのだと思わせるものがある。

遠藤賢司の音楽をは,「心臓も裂けんばかりの【動】,闇夜に針の穴を通すような集中力の【静】」と表現されることがあるが,この中間の無い両極性がこそ彼の魅力なのだと思う。

A面の『ほんとだよ』には、ジャックスの木田高介のフルートがフィーチャーされていて,B面の『猫が眠ってる』には「加藤和彦」,「西岡たかし」,「早川義夫」が参加している。

シングル盤の『ほんとだよ』は,70年のデビュー・アルバム「niyago」収録のものとは別バージョンの演奏となっている。

残念ながら,画像のレコードは,1969年リリースの「元盤」ではない。
1995年に復刻盤が発売されたものを,即買いで入手したものである。

大ヒットした曲ではなく,マニアの間に少数が出回ったと思われるレコードであるから,今となっては「元盤」を入手するのは至難の業かも知れない。

『ウエディング・ベル』Sugar

【今日の一枚】
『ウエディング・ベル』Sugar
1981年11月21日リリース(フォーライフレコード)

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「Sugar」のデビューシングルである。
恋人が他の女性と結婚することになり,その式場である教会に招待された女性の心情を綴る歌詞になっている。

新郎新婦への怒りを込めた「くたばっちまえ! アーメン」に代表される皮肉たっぷりの歌詞と,3人の美しくかわいらしいコーラスのギャップが受けて,レコードが約70万枚を売り上げる大ヒットとなった。

歌詞の内容から,日本のキリスト教関係者の一部からは「キリスト教への冒涜」との批判もあったようで,旧外国人居留地がありキリスト教関係者の比率も多いと思われる地域の「NHK神戸放送局」で一時期,自主規制により歌詞の一部をフェードアウトしていたことがあったという。

大学生の頃のヒット曲である。
日本の3人組女声コーラス・グループであるが,元々はバンドとして結成されたため,デビュー当初は3人とも楽器を演奏しながら歌っていた。

3人は,バンドでガチガチに楽器を演奏するという雰囲気というよりも,どちらかというとアイドル系の雰囲気であったため,あんな華奢な指で本当にベースやギターのコードがちゃんと押さえられるのだろうかと思いながらテレビ画面を見ていたという記憶が残っている。

デビュー曲の『ウエディング・ベル』は,きれいなコーラスと,自分を振って別の女性と結婚した元恋人に悪態をつく歌詞で一躍注目されたが,残念ながら,記憶の中の「Sugar」といえばこの曲しか思い出せない。

 

『彼と』三善英史

【今日の一枚】
『彼と』三善英史
1974年3月10日リリース(ビクターレコード) 

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「三善英史」の7枚目のシングルである。
作詞を「阿久悠」が,作曲を「三木たかし」が担当している。

デビュー曲『雨』がいきなりの大ヒットを飛ばし,『円山・花町・母の町』でNHK紅白歌合戦に初出場した。

中学生の頃のヒット曲である。
1974年といえば,前年の1973年にリリースされた「かぐや姫」の『神田川』や1974年1月にリリースされた『赤ちょうちん』のヒットを受けて,「四畳半フォーク」全盛の頃だった。

謡曲の世界でも,「布施明」の『積木の部屋』や「野口五郎」の『甘い生活』といったいわゆる「同棲」をテーマとした曲がリリースされていた。

演歌の世界でもこのブームに乗らない手はないということで『彼と』がリリースされたのだと思う。

歌詞はおおよそ演歌らしからぬ内容で,「同棲」の破局を思いながらも,一日一日をささやかに暮らしている男女の様子が,女性の立場から細かく描かれていて,まさにフォークソングの世界を彷彿とさせるものとなっている。

残念ながら『彼と』大ヒットさえしなかったが,「三善英史」の代表曲の一つとして印象に残る一曲となっている。

 

『高校三年生』舟木一夫

【今日の一枚】
『高校三年生』舟木一夫
1963年6月5日リリース(コロムビアレコード)

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舟木一夫」のデビューシングルである。
デビューシングルでいきなりシングル発売が,1年で売上100万枚を越す大ヒット曲となり,「舟木一夫」はこの曲で一躍スター歌手となった。

累計売上は230万枚を超えると言われている。作詞は「丘灯至夫」が,作曲は「遠藤実」が担当している。

舟木一夫」は,この曲の大ヒットで1963年末の「第5回日本レコード大賞」で「新人賞」を受賞し,同年大晦日の「第14回NHK紅白歌合戦」へ初出場した。

小学校に上がる前のヒット曲である。
発売当時のことは,年端もいかない子どもだったため詳しくは知らないが,後に『贈る言葉』が大ヒットするまで,高校生活も残りわずかになった高校三年生の純朴な気持ちが綴られているこの曲が「卒業」の定番の一曲だった。

私が高校を卒業する時点でも,まだ『贈る言葉』は世に出ていなかったので,卒業式の後に友達と『高校三年生』を口遊んだという思い出がある。

今では歌われなくなってしまったが,「赤い夕日が校舎を染めて」とか,「フォークダンスの手を取れば甘くにおうよ黒髪が」とか,節々に昭和の学校の一場面を彷彿とさせる歌詞がちりばめられていて,何とも言えない青春の甘酸っぱさを思い出すような一曲であると言えよう。