酒呑み親父のよもやま噺

探求心旺盛な酒呑み親父の随想録

『もずが枯れ木で』(B面『お父帰れや』)岡林信康

【今日の一枚】
『もずが枯れ木で』(B面『お父帰れや』)岡林信康
1971年6月5日リリース(日本ビクター)

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A面『もずが枯れ木で』,B面『お父帰れや』とも,「岡林信康」自身が作詞・作曲した楽曲ではないが,いずれも「岡林信康」の代表曲であり,A面・B面とも名曲が収められた一枚である。

 『もずが枯れ木で』作詞:サトウ・ハチロー 作曲:徳富繁
1932年(昭和7年)の満州国の建国を機に,日本内地の数え年16歳から19歳の青少年を満州国に開拓民として送出する「満蒙開拓青少年義勇軍」という制度があった。
貧しい農家からこの義勇軍に参加して,満州に渡って帰ってこない兄を想う,幼い弟の気持ちを歌ったものである。
岡林は自身の特集本の中で,「一部の人々のエゴイズムとペテンによって,多くの人間関係-親子,兄弟,恋人,友人-が引きさかれる戦争。日本が満州を植民地化していくという時代背景のもとで創られたというこの歌。こんな素晴らしい反戦歌が日本にもあったんだ」と述べている。

 『お父帰れや』作詞:白井道夫 作曲:真木淑夫
戦後の高度成長期(1970年代)の頃,東北地方や北陸・信越地方などの寒冷地方の農村の男性が,冬季の農閑期に都市部の建設現場などに働き口を求めて出かける「出稼ぎ」という行事が行われていた。
『お父帰れや』の歌詞は,出稼ぎ労務者の夫を思う妻の立場から書かれており,心の叫びの様な歌詞が,悲哀に満ちたメロディーに乗って,もの悲しくやり切れない歌である。
日本の高度成長は農業を犠牲にして行われたと言っても過言ではないだろう。
岡林信康」は,この歌を通して資本主義経済の矛盾の一面に迫ろうとしたのかも知れない。