酒呑み親父のよもやま噺

探求心旺盛な酒呑み親父の随想録

『わたしの青い鳥』桜田淳子

【今日の一枚】
『わたしの青い鳥』桜田淳子
1973年8月25日リリース(ビクター音楽工業)

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桜田淳子」の3枚目のシングルである。
桜田淳子」は,この曲で「第15回日本レコード大賞最優秀新人賞」,「第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞」という,当時の2大タイトルを初め,この年の各音楽賞の新人賞を総なめにした。

中学生の頃のヒット曲である。
同時期にデビューし,「花の中三トリオ」と呼ばれた3人の中で,この時期は「桜田淳子」が一番ブレイクしていたように思う。

森昌子」は,アイドルと言っても「アイドル演歌」のジャンルだったし,「山口百恵」は,1973年五月のデビュー曲の『としごろ』の不振で,一歩出遅れた感は否めなかった。

山口百恵」が,2ndシングル『青い果実で』イメージチェンジを図って持ち直し,5thシングル『ひと夏の経験』で50万枚という大ヒットを放つまでは,「桜田淳子」がアイドルの座を独り占めしていた。

歌詞は,純粋な少女路線で,後の「山口百恵」のような「影」はない。
アイドルの元祖「天地真理」の後継者として,当時の「桜田淳子」や「麻丘めぐみ」は他のアイドルを牽引する立場だったと言えよう。

「中三トリオ」の中で,「純粋路線」でヒットしていた「桜田淳子」が,後には一番怪しい形で芸能界を去ることになろうとは,この時だれも思わなかっただろう。