幼稚園の年長組の頃から小学1年生までの約1年間を風呂のない実家で生活した。
正確に言えばその家に風呂がなかったのではなく,わが家が移り住む随分前から風呂が壊れていて使用できなかったと言うのが正しい。
この約1年間を,家族で風呂屋に通った。
元もと家に風呂のないアパートや長屋があって,夕方ともなると町の風呂屋は多くの客で賑わっていた。
私が育った町は小さな田舎町だったが,町には何軒もの風呂屋が営業していた。
当時男湯には,全身に入れ墨をした人が何人かいて,時々話しかけられたりするのだが,子ども心にその人の傍に寄るのが怖かったという思い出がある。
一人で風呂屋に行ったときには男湯に入るのが怖かったので,こっそり女湯に紛れ込んだこともあったが,もちろんそれを咎められるような歳ではなかった。
大学生の4年間,4畳半ひと間を間借りの下宿生活だったので再び風呂屋に通った。
すでに昔のような賑わいはなかったが,それでも近所の方や多くの学生で繁盛していたように思う。
たいていの家に風呂が設けられるのと反比例するように町の風呂屋は減っていった。
「スーパー銭湯」と呼ばれる大型の施設が見られるようになったが,そこに当時の風呂屋の面影はない。
貴方はもう忘れたかしら 赤い手拭いマフラーにして二人で行った横丁の風呂屋 『神田川』喜多条忠
こんな世界が理解できるのは,われわれの世代が最後なのかも知れない。
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